藤原先生近況2008.09(3)

9月19日 宮城・登米市博物館の酒井亜希子学芸員から先月贈った『続日本生活思想研究』(石川桜所関係の拙論を含む)の礼状。鈴木幸彦氏も交えていつかお会い出来ればともあった。今度、岩手県南〜宮城県北に行った時には訪ねたいとも思う。
9月21日 目黒氏より封書あり。同封して神田のカトリック教会に保存されている明治初の洗礼者名簿コピー(ローマ字で筆記)が届いた。一部分目黒氏の手で早稲田大学蔵『太政官謀者報告』と照合した漢字名が記されていた。この中に、原敬、目黒順蔵、鈴木亦人、沼邊悦三郎 (目黒はまの夫)、江間耕太郎(宏子夫人の祖父)などとともにShirosawaの名前がある 。江間耕太郎の部分に「イマ」というカタカナ書きがあった。これは明らかに「江間・エマ」の東北詑りである。
9月23日 「日本学研究会報 平成20年秋号」のために前号「時処位 (人)」論の続編を書き始める。今回は崋山『慎機論』の明治における藤田茂吉『文明東漸史』への展開を申心に述べる事にした。それに合わすかの如く塚本寿美子さんから会報表紙が送られて来た。
9月26日 明治神宮・国際神道文化研究所の定期刊行誌の名称が『神園』に決まったという通知がある。誌名は神宮の鎮座地にちなんだものである。
 杉本章子さんから近著『大奥 二人道成寺-お狂言師歌吉うきよ暦』(講談社)が贈られて来る。先日の『銀河祭りのふたり』(文藝春秋社)に続いての刊行である。彼女の健筆ぶりに感動する。
9月29日 小形利彦氏より挨拶状が届く。8月26日付けで、日本大学山形中学校・高等学校の教頭を命じられたという。彼は岩手大学大学院(修士課程・社会人入学)藤原暹ゼミの出身である。後に東北大学に学び、博士 (文学)を取得した篤学の士である。洋学関係の学会で偶然に知り合って研究の世界に誘った。藤原ゼミの出身で博士号を取得した人は何人もおられるが、この人ほど歳をめされて研鎮を重ねた方を知らない。今後さらなる健闘を祈りたい。
 城澤昇氏(北上川水運の先駆者で箱館・伊勢屋朝吉として活躍した人の子孫)より封書が来る。目の手術をされたようで病院通い。その経過が書かれていた。Sirosawa Hujioさんの事を調 べているが、Hujioさんは後に北上の黒金屋という旅館に婿に入られたという。少々時間が掛りそうである。
(『日本学研究会会報』平成20年秋号より抜粋)