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藤原先生近況2008.11(3)

藤原先生

 11月の上旬から中旬にかけてささやかな私的な生活にも煩わしい生活・生命権の問題の日々が続いた。高齢の部類に入ると自然に人間嫌いに陥って来るが、その中で若手ばかりでなくミドルもシニアも含めて全体的な「人間の喪失」を感じていた。
 戦後間もなく『人間失格』を書き、自らも玉川上水で愛人と自滅して自己完結した作家がいたが…。彼には「失格」する「日本人」が在った。なぜなら、その前には大正人格主義など「人格」と「物格」が強く対決していたからである。その対決からの「失格」という恥じらいがあった。原爆後、身を置いた私は翌年に旧制矢掛中学に進学し、中途で新制中学に転じた時代である。こうした回想中に、つけていたラジオから「オバマ大統領当選」とニュースが聞こえた。150年間の念願の人種差別からの一歩だとリンカーンやキングの名前とともにアメリカは沸いていた。とっさに中学時代に配られた『民主主義』という上等な印刷の教科書を思い出した。
 その頃の中学の先生たちはそれぞれに個性的と言えば個性的であったが、進駐軍通訳流れの英語の先生や高等師範出というニヤケタ若手先生など蠢いていた。小生のクラスの社会の先生は何と東京大学法学部出というホイダ先生であった。ニヤケルにはやや年長の方であったが、民主的教育の実践という事で授業は机をグループ別にし対面式に並べたりして、お互いの意見交換が授業だと主張した。 民主主義と平等というテーマになった時間であったか、「アメリカの平等」の話題に移った時に、私は「アメリカでは黒人も白人も平等でしょう。」と発言した。ホイダ先生は「黒人はやはり白人に劣っています」と言った。小生は「でも、ジャキー・ロビンソンはすばらしいバッターです」と言ったら、ホイダ先生は困った顔をしながら黙まられた。ホイダ先生の反応の理由は小生には定かには分からなかったが…。私はそれ以上つっこまなかった。それが日本人としての「大人の格好」かと自負するような生意気盛りの時代でもあった。その後に人生で教え込まれたアメリカの民主主義も実は出来上がったものでも、民主的平和な「道」でもない事をいやと言うほど知らされた。という事はアメリカ型民主主義を一途に進んだ日本の民主型政治、経済、文化(国連主義も含んで)など平和・安全な「道」などには程遠いものだとも知らされた。
今回のオバマ当選に沸く人種を超えた市民の歓声を聞きながら150年の歴史を想起させられた。改めて、私達が市民的民主主義を知って60年たらずである。まして市民的人格の成熟などとは言えない現今の日本人の実態と未熟さも知らされたのである。