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藤原暹著『江戸時代における「科学的自然観」の研究』(4)

 第二章第一節では司馬江漢とその継承者・片山松斎の自然観を考察します。
 下級武士であった片山松斎は50代に江漢の天文窮理学(地動説)を受けつぎ、仏教的須弥山中心の自然観を退け、水火二気によって天体・地球の諸現象を統一的に把握するとともに、「悟りへの傾向」も一層顕著に展開しました。 

 その事は究極において、「自然」と「人道」の結びつけられた間に存する「然る所以の理」を悟明するものであり、科学研究を進め「自然」そのものの「然る理」を究める道は行き詰ってしまうものであったと言える。……ただ、「悟道」を解説する上において、より広く深く用例をあげ、ボキャブラリーを豊かにすることは可能であった。彼は江漢以上に和、漢、梵の古典から用例を抜き、「吾、此処ハ実語、此処ハ方便ト解ス」〔『天学略名目羽翼』〕と彼独自の解釈を下して行くのであった。こうした松斎の天文窮理学は必然的に一方で古典を方便としながら、これを取り入れ、解釈を下していく傾向を生むのであった。しかし一方では「所詮諸子百家ノ天ヲ談ズスハ畢竟スル処皆空理ニ堕テ……」〔同〕と、古典をどこまでも排するのであった。(55頁)