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藤原暹著『江戸時代における「科学的自然観」の研究』(7)

 第三章では、これまで考察してきた江戸時代の「科学的自然観」の思想史的意義について、福沢諭吉との比較から検討しています。宇宙自然の真理を究明する「物理学」によって自然と人間を切り離し、自然を人事に利用するという福沢諭吉の科学観・自然観は西洋近代科学を消化したものであり、「個人の独立は全体社会の発展」という思想の根底にも適用されました。これに対して江戸時代の「科学的自然観」は、「天地の道理」の悟明に関心を示し、「自然」と「人道」の調和と統一が求められました。 

 近代的ということを個人の独立という形で把握し、そうした「社会」「人間」「自然」を観るものとして近代科学を把えるものとするならば、まさに、江戸時代における「科学的自然観」と言われるものは近代的でも科学的でもなかったと断定しなければならない。(122頁)

 終章では各章の考察を振り返り、「近代科学の精神と方法が近代社会化を導いた」のに対して、江戸時代の「科学的自然観」は完全に「物理的」ではなく、「自然」と「人道」を結びつける「重層の思想構造」であり、「新しい「人道」や「道徳」の展開は大して期待できないものであった」と結論づけています。

 以上、『江戸時代における「科学的自然観」の研究』の内容を紹介してきました。本書は大部の作品ではありませんが、冗長を慎み要を得た論文集であり、論旨も明快です。また、東北大学大学院在学中の刊行物であり、堅実な研究成果の陰にある人並み以上の意欲と努力が偲ばれます。
 藤原暹先生は終章において「西洋科学精神に近づいた蘭語学習者自体が、その自らの認識を基にして「人道」「社会」を考えなくて、どうして、新しい「道徳」学の発展がみられようか。」(128頁)と、西洋科学精神による日本の道徳の展開について問題提起しています。その後の取り組みについて、代表的な著書の繙読を通して考えることを他日の課題とさせていただきます。