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ポスト「3・11」、日本のカタチ――集英社クオータリー『kotoba』2011年秋号

 集英社発行の季刊誌『コトバ』第5号(2011年9月6日発売)は、「ポスト「3・11」日本のカタチ」の特集号です。「3月11日を境に、日本の歴史は大きく変わることとなった。誘発された原発事故は、日本の将来に大きな影を落としている。被災地の復興はもとより、この国の未来を希望のあるものとするために、われわれはどのような選択をしなければいけないのか」という問題意識から、「まず、東北から考える」、「原発問題の核心とは?」、「エネルギー問題の現実」、「日本社会とリスク」、「日本の食料はどうなる?」の5つのパートに、寄稿や対談、インタビューなど22編を収録しています。
 同誌は1年前に創刊した「多様性を考える言論誌」であり、ホームページによると、「ノンフィクションやドキュメント、自然科学や社会科学などのアカデミズム、そして何より出版の基本に立ち返り、本当に伝えるべき価値あるコトバを、きちんと伝えていく雑誌を創刊」(田中伊織編集長)したものであり、「毎号大きな特集テーマをもうけ、……一つの角度からの見方だけではなく、対立する意見も紹介することで、読者に考えてもらうヒントを提案」する「多様性を大切にするメディア」を目指しています。
 今回の特集号も東日本大震災より半年後という時宜に、エネルギー問題を中心に識者の多様で有意義な議論を丹念に紹介しており、これまでの日本とこれからの日本を考える上で参考になる一冊です。
 以下に、個人的に印象深かった「コトバ」をいくつか紹介させていただきます。

「日本は本来もっと貧しい国のはずだよ。ビフテキを食えるが本は読めないという貧しさではなく、真逆の貧しさ。」(矢作俊彦ほか「福島を遠く離れて」)

「文明が自然を征服することはありえない。だからこそ、「防災」から「減災」への転換が、復興構想会議の提言のなかにも掲げられることになった。さまざま災害にまつわる民俗知の掘り起こしが求められるはずだ。」(赤坂憲雄「あらゆる自然災害は人災なのではないか」)

「私たちはもっと穏やかな「人生のリズム」を見つけなければならない。過度にテクノロジーに頼った生活は、決して「今よりも豊かな人生」を意味しない。人類がその領域に至るには、まだ確かに長い道のりが残されているが、それはいい道のりになるはずだ。」(ダニエル・コーン=ベンディット「私は「原子力エネルギーに未来はない」と判断している」)

「今回の福島第一原発事故で、私たちは重い十字架を背負いました。祖父、祖母から引き継ぎ、そして子どもたちに渡すかけがえのない郷土を汚染させてしまったのです。あまりにもご先祖様、そして次世代に申しわけない。精一杯の努力をして除染をやり遂げ、郷土を安全に、きれいにする。それが私たち世代に課せられた役目だと受けとめています。」(児玉龍彦除染について、いま我々にできること」)

「すでに若い人たちは脱成長へと意識が傾いているんじゃないでしょうか。昭和の果実を味わった世代の人ほど、経済成長幻想から脱け出せていないように感じます。」(神里達博ほか「天災が日本人をつくってきた」)

「キーワードは「災害文化」です。「揺れたら、指示を待たずにとにかく逃げる」というようなことが、地域の共通知、暗黙知として大人たちの常識となり、その中で子供たちが育っていく。そういうような文化をつくっていくことが本質なのだろうと思います。」(片田敏孝「災いと、どう向き合うか」)

 こうして印象深かったごく一部を読み返しながら、これまでの日本、これからの日本を考える上での方向性は、矢作俊彦氏の「日本は本来もっと貧しい国のはずだよ」の一言に収斂されるのではないかと感じています。前回の日本学ブログ(2011年9月7日)で紹介した羽賀祥二氏の報告「戦争・災害の死者の〈慰霊〉〈供養〉」における近代以降の大量死の時代という問題提起と、東日本大震災をめぐる巨大災害という形容は通じるものがあり、私たちは「日本」を、またそこに生活する「私たち」を等身大で捉えることが求められているのではないかと思います。
 なお、『kotoba』誌は編集に携わっている高校時代の同級生の紹介により、前号から講読しています。編集制作にあたられた各位に謝意とエールをお送りいたしますとともに、多くの皆さまに講読をおすすめいたします。