大崎正治「禍を転じて福と成す」と藤原暹「老松ふるさと学校開校に寄せて」


 大崎正治先生(國學院大學名誉教授)が『月刊若木』第752号(平成24年2月1日発行、14〜15頁)に寄せた「禍を転じて福と成す――災害から復興するもうひとつの途(みち)」を興味深く読みました。
 日本の構造的経済不況や世界的な金融恐慌、原発事故、財政破綻の危機、「これらの苦境はすべて過去五、六十年ひきずって来た経済成長・GNP中心主義(カネの多寡で幸福を計る生活)がもたらした結果、つまり人災なのではないか」。よって東日本大震災の復興事業公共事業ハコモノ)優先の成長戦略ではなく、「地元住民の自力復興、自力救済」の支援と、地場生産地場消費の構築による域内の産業の振興を目指すべきであると提唱し、次のように述べています。

「このやうな地域生産流通システムの上に地域文化を振興するために、どんな売店にもお客が自由に座れるベンチを置いて、近所付き合ひのできる空間を備へることにする。商店会ないし地域が運営する共同交流空間を神社の境内や社務所に置いてもよい。そこには町や村の観光スポットや名品製作地を案内する掲示板が掲げられ、地元の子供や老人の絵画や工芸品が入れ替え制で常時展示される。ときには演奏会・発表会が催される。このやうにして、被災地復興事業は新しい産業、新しいライフスタイルの発信地にできるのだ。」

 大崎先生はこのなかで、地元の「人々の人々による」(主体性・参加)被災地の復興、ひいては日本の振興を特に主張しています。それは3年前、藤原暹先生が遺した次のメッセージに通じるものがあるように思います。

「現今、「ふるさと」とは何か、そしてそれを基盤に学的な展開を求める営みの出発点はどこなのか……。故郷の先人(大槻の家学の人達、和算・算額の人達、義民の心など)を学ぶことや名産品の製造体験をすることは大切な必要条件ではあります。しかし、自分達の、自分達による、自分達のためのコミュニティ、ふるさとの将来は如何にあるべきかを常に内側に求め、再構築していくという営み、そうした教育がより大切な条件ではないでしょうか。」(藤原暹「老松ふるさと学校開校に寄せて」

 地域の文化を担う人々が、様々な課題を解決する糸口を内側に求めて、主体的に活動していくこと、そのための環境づくりが重要であり、「共同交流空間」として神社が尚一層活用されるように努めたいと思います。