島薗進先生より『日本人の死生観を読む――明治武士道から「おくりびと」へ』(朝日選書、平成24年、本文244頁)を御恵与戴きました。
10年前に東京大学大学院人文社会系研究科で始められた「死生学」プロジェクトの機関誌への論考等をもとに書き下ろされた本で、目次は以下の通りです。
プロローグ
第1章 「おくりびと」と二一世紀初頭の死生観
一 死に向き合うことの勧め
二 死を超える力はいずこから
三 『納棺夫日記』から「おくりびと」へ
四 欧米からの移入と日本の死生学
第2章 死生観という語と死生観言説の始まり
一 死生観という語が優勢になった経緯
二 加藤咄堂の武士道的死生観
三 死生観はなぜ必要か?
四 死生観論述の時代背景
第3章 死生観を通しての自己確立
一 教養青年の死生観
二 志賀直哉の自己確立
三 死生観を描く教養小説
四 死生観文学の系譜
第4章 「常民」の死生観を求めて
一 死生観を問う民俗学
二 柳田国男――他界憧憬と幽冥論の間
三 折口信夫――「古代研究」を目指す自己
四 固有信仰論に世代間連帯の思想を見る
五 近代人の孤独から死の意識を透視する
第5章 無惨な死を超えて
一 「戦中派の死生観」の内実
二 内なる虚無との対面
三 共同行為としての戦争の意味・無意味
四 死生観と倫理
五 他者に即して戦争の死を捉え返す
第6章 がんに直面して生きる
一 死生観の類型論
二 岸本英夫――「生命飢餓状態」と「別れのとき」
三 高見順――予期される死から身近な死へ
四 死に向かう旅路
エピローグ
プロローグでは宮沢賢治が法華仏教的な死生観を表現した物語「ひかりの素足」について、「東日本大震災の被災者の心を、そしてこの震災後に生きている私たちの心を支える力を恵む過去からの贈り物として読めるかもしれない」と紹介し、本書ではこうした「近代日本のさまざまな時代、さまざまな境遇の下での死生観についての典型的な言説に注目することにしたい」と述べています。
第1章では映画「おくりびと」を例に共同体から個人化を志向してきた「孤独な現代人の心象風景」を読み取り、第2章以降で死生観への関心の系譜を日露戦争前後に遡って考えていきます。仏教・儒教・神道あるいは武士道の伝統に即して「悟りの境地」を志向する死生観(加藤咄堂、志賀直哉)、文化伝承を引き継ぐ共同意識に着目した円環的・永遠回帰的な死生観(柳田国男、折口信夫)、戦中戦後における「悟りの境地」が打ち破られるような亀裂の経験に焦点を合わせた死生観(吉田満)、がん患者として死を意識して生きた岸本英夫、高見順の死生観をとりあげています。
エピローグでは、本書は「一般住民の死生観を考慮に置き、社会階層や生活変化の動向を重視しているところに一つの特徴があること」、また「三・一一以前はまずは少子高齢化社会ということから死生観について考える傾向が強かったが、今後はそれも大きく変わっていくのではないだろうか」との見通しを述べています。
一読したのみでコメントを申し上げるのは余りにも粗雑ですが、『戦艦大和ノ最期』の著者・吉田満の死生観の展開を扱った第5章は特に読み応えがありました。また個人的な印象として、第6章の「別れのとき」(岸本英夫)のくだりは、3年前、東京の職場を「退職」する時の経験と少し重なるものを感じました。
本書が「伝統的な宗教的死生観から一度は離れ、あらためて自分なりの死生観を組み立てようとした人たち」によって「相対化され、反省的に捉え返された死生観」の考察で示した思想史的な手法は、死生観以外の問題(例えば自然観)を考える上でも参考になると思います。
貴重な研究成果を早々に御恵贈賜りましたことに感謝申し上げるとともに、益々のご健勝をお祈り申し上げます。
日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ (朝日選書)
- 作者: 島薗進
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2012/02/10
- メディア: 単行本
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