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楠家重敏『W.G.アストン――日本と朝鮮を結ぶ学者外交官』

 イギリスの外交官であり日本学者のウィリアム・ジョージ・アストン(1841〜1911)は、アーネスト・サトウバジル・ホール・チェンバレンとともに、明治時代のイギリス人三大日本学者に挙げられます。北アイルランドで生まれ、クイーンズ大学卒業後に日本のイギリス領事館の日本語見習通訳、のちイギリス公使館の日本語書記官となり、この間に朝鮮のイギリス総領事も勤めました。編著書・訳書に『日本語口語小文典』(1869年)、『日本語文語文典』(1872年)、『日本紀』(1896年)、『英文日本文学史』(1899年)、『神道』(1905年)などがあります。
 アストンの生涯と業績に関する伝記的研究に、楠家重敏氏の労作『W.G.アストン――日本と朝鮮を結ぶ学者外交官』(雄松堂出版、2005年)があります。
 同書によると、アストンは1864年(元治元)11月の初来日以来、イギリス外交官として活躍するかたわら、1872年(明治5)に設立された日本アジア協会を舞台にサトウ、チェンバレンらと日本研究に努め、日本学者として大きな業績を残しました。その研究は1889年(明治22)の外交官退職と最終離日を境に前後二期に大別され、前期の特徴は『日本語口語文典』『日本語文語文典』の二つを中心にした日本語研究、日本アジア協会での日本文化研究にあり、後期には『英訳日本紀』、『英文日本文学史』、『神道』などの大作が著され、母国イギリスにおいて円熟した日本研究が営まれました。
 楠家氏の伝記は前期を扱ったものですが、特にアストンの日本語研究への戦前の日本人の理解(評価)のくだり(第五章)を興味深く読みました。山田孝雄国語学史要』(昭和10年)に顕著なように、外国人の日本語研究の成果は軽視ないしは無視される傾向があるのに対し、アストンの同時代、国学者の堀秀成は『語格全図略解』(明治22年)の総論において、「英人サトウ氏アストン氏の如きは本邦語学を究め然も其学の密にして且精なる普通本邦語学家の及ぶ所にあらず。」と評していました。また大槻文彦は『広日本文典』(明治30年)で、アストンの『日本語文語文典』の四段古形説を採用している部分があったといいます。
 では、アストンの神道研究は国内外でどのように受け止められてきたのか、とても興味深い問題です。その一端は拙稿「新渡戸稲造における維新と伝統」(『明治聖徳記念学会紀要』復刊45、平成20年)、「GHQ神道観に関する一考察」(『明治聖徳記念学会紀要』復刊48、平成23年)、「アメリカの神道観に関する一考察」(『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』6、平成24年)などに触れております。
 ⇒佐藤一伯『世界の中の神道』(錦正社、平成26年)にまとめました。(平成28年8月12日追記)

世界の中の神道 (錦正社叢書)

世界の中の神道 (錦正社叢書)