W. G. アストン『神道』について(10)

 第五章「神話」では、宗教的神話を研究する意義について、「神話は比喩から発達したものであるが、その比喩の如く、真実でないものによつて真実を暗示するものであつて、宗教的教育に必要なものであることは既に承認せられて居る。言語の幼稚な時代には、霊魂上の真理を説明するのに有形的表象――言ひかへれば、神話と比喩以外には方法がないのである。」(『日本神道論』、一〇〇頁)と、霊魂観の「有形的表象〔physical symbols〕」との見方を示し、日本の「神話」における真理について、次のように述べています。

 日本神話に伏在する主要な観念は、第一には宇宙の万物は感情的生命を有つた本能的の生物で、人間に対しては仁愛的思慮を廻らしつつあるといふことである。(此の観念は不十分ではあるがやや真理がある、)次には、其のめぐみをして太陽の光と熱との如く人民の上に降らしめる君主を尊敬し服従すべしといふ教である。其の神話に実際この事を記してをる。そこで日本歴代の君主は日の女神の子孫だとせられてゐると思ふ。これが即ち君主の神的威光に関する日本主義の述べ方である。これらの生気ある要素が無かつたならば、日本神話は或学者が想像した通り荒唐無稽の混体に過ぎず、其の研究は生理学的で無く、精神病的となるのである。(『日本神道論』、一〇九頁)