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W. G. アストン『神道』について(16)


 第十一章では、神道の「道徳」について「道徳律の性質を備へたものは幾んど無い。……神道の聖書には直接に道徳を教へて居ない。毎年両度に行はれる大祓の祝詞の中にある罪名の中には、いはゆる十戒中の一戒をも含んでゐない。」(『日本神道論』、三〇二頁)と古代の状況を述べています。聖徳太子の十七条憲法は、「内容はすべて官吏の心得を書いたもので、上下和合、仏法の尊信、君臣の信義、官吏の精励、上下有礼、愛民」など中国思想に拠るものであるが、「併し日本の実情に必要なしに作られるものでないことは確かである。……此の当時既に日本に不文律が有つて、不完全ながらも、罪を裁定したことが察しられる。」(三〇五頁)と、日本の実情の反映したものであることを推察しています。
 また「儀式的潔斎」の項で、日本における「罪」について次のように述べています。

 神を怒らせる所為をば、日本では罪といふ。神の崇拝者がかかる所為を避けるのを忌(イミ)といふ。本居の解釈によれば、神道の罪に三種ある。即ち不潔、罪悪、災難の三つ。儀式上の不潔と道徳的罪過(或特別なる種類の)とは、恐らく日本の上古に於ては区別がつかなかつたのである。災難も罪の中に這入つてをる。知る知らぬに拘はらず、罪を犯せば、神が怒つて災を降すから、災難は神の怒つてゐる証拠と見る。すべての罪は宗教的不合格若くは責罰を含んで居る。(三〇七〜三〇八頁)