W. G. アストン『神道』について(18)

 第十三章「禁厭・卜占・霊感」では「まじなひ」について、「日本の辞書学者山田美妙は、まじなひは「神仏のすぐれた力の加護によつて、災難を除くこと」と言つて居るが、チツメルンの説と実質に於て一致して居る。…… Sir Alfred Lyall 及び I. G. Frazer は、「この種のまじなひは宗教よりも先きにあつたもので、過つた前提に基づいては居るが、其の原理に於ては科学と同一のものである」といふ説である。」(『日本神道論』、三九一〜三九二頁)と述べています。
 また「神憑」の項では次のように神道の特色を指摘しています。

 神道は不幸にして、託宣に存する真理を発見するやうな事柄を記したものが無い。太陽を神とすることと、太陽から発する温暖と光明が人に対する慈愛であるといふことの承認とは、実に宗教を欠いてゐる世界に於ける立派な観念である。伊邪那岐命の神話は、諸神が此の神から生れたとして、一神教の方に道を開いた華麗な観念である。生成の神なる産霊神は此の方向に更に進む階段を示すものである。我等が隣人に対して不快なことをすれば、神も之を不愉快とするといふ真理を捉へたものと思はれる。(四一九頁)