W. G. アストン『神道』について(21)

 第三章において「自然神と団体の中心人物とを祖先と呼ぶ」日本の疑似祖先崇拝の状況を扱った際には、次のように岡倉天心(覚三)『東洋の理想』やイギリスの哲学者エドワード・ケアードのギフォード講義『宗教の発展』に示唆を得た記述がみられます。

近頃出た岡倉君の『東洋人の理想』の中に、伊勢出雲の子孫の純粋なことをのべてゐる。此の二所に祀つてゐるいはゆる先祖の神は、即ち日の女神、食物の女神、大名持命(一つの地神)、須佐男命(暴風雨の神)である。Dr. E. Caird の説に「多くの場合に崇拝せられて居るものは崇拝者の先祖であるが故に、神と思はれるのではなくて、彼等の神であると信ぜられるから、彼等の先祖だと思はれるのだ。」といふのは、神道の此の様子に当つてゐる。(『日本神道論』、六二〜六三頁)