岩手民俗の会の会員で小坂町教育委員会主任(学芸員)の安田隼人氏より、ご自身の原稿が掲載された日本ナショナルトラスト『報』(№528、平成30年11月1日発行)を、第35回東北地方民俗学合同研究会の会場にて頂戴しました。誠に有り難うございました。
小坂町の地勢や近代化遺産、現在取り組んでいる文化財の保存・活用を担う人材育成について紹介。「文化財は、地域住民のものである。……日常の中に埋もれている何気ない歴史に光をあてることができる人材を育成していく必要がある」と説いています。
竹駒神社(宮城県岩沼市)の千葉博男宮司より、御著書『歌句文集 若葉の風』(平成27年7月初版)を、去る9月27日、岩手県平泉町を会場に開催された、東北代々木会の際に恵与いただきました。誠にありがとうございました。平成10年、61歳の時に歌句文集『神奈備』を出版以降の作品を、喜寿を迎えたのを記念してまとめた一冊で、目次は次の通りです。
短歌
- 平成十二年~平成十五年(三島・森田両烈士三十年祭、同追悼三十三周年祭献詠 太皷谷稲荷神社二百三十年奉祝大祭に全国稲荷会の献饌使として参向)
- 平成十六年~平成二十年(三島・森田両烈士追悼三十五周年祭献詠 明治神宮参拝 他)
- 平成二十一年~平成二十二年(山形県鮎川村に鮎釣り行、他 山形県月山登拝の前日羽黒山斎館に泊りて)
- 平成二十三年三月(東日本大震災に逢ひて大前に祈る 県内の避難所へ支援物資を届け廻る、他)
- 平成二十四年三月(内宮の上棟祭に参列して つがる市柏に住みし娘、孫達を連れて弘前市内で夕食を共にし、のち弘前城址の夜桜を見物する)
- 平成二十五年三月十九日(天皇皇后両陛下拝謁の日に皇居へ参内する)
- 平成二十五年五月(出雲大社遷座祭に参列して 秋田城址千秋公園を訪ふ)
- 平成二十五年八月二十九日三十日(畏友長野市の斎藤吉仁君病を患いたれば斎藤夫妻と友人黒澤日出雄君、小生が加はり、武井神社参拝と和倉温泉一泊の旅、病む君の今生の想ひ出を作らんと、奥様の計らひで実現す)
- 平成二十六年三月(長野県出張の折、奥様と若奥様に案内され、老人養護施設に入院中の斎藤吉仁君を見舞ふ)
- 平成二十六年九月十九日(畏友斎藤吉仁大人命葬送の儀に國學院大學弓友会同期生を代表して弔辞を奉呈し、誄歌を献ずる)
俳句
- 平成十一年九月~平成十三年
- 平成十四年二月二十四日(福岡県芦屋町鎮座岡湊神社参拝の折、路傍のスイセン摘む人ありて)
- 平成十五年二月~平成十七年九月(明治神宮参拝の折二句、他)
- 平成二十年五月
- 平成二十六年六月十一日(職員旅行にて黒部、白川郷を巡る)
- 平成二十一年四月~平成二十二年四月
- 平成二十四年十二月
- 平成二十五年六月(宮城県神社庁名取支部神職会で八郎潟方面研修旅行)
- 平成二十五年七月(毎年恒例の北海道全域の崇敬者訪問の折)
- 平成二十五年十月~平成二十七年三月
文集Ⅰ 竹駒神社社報『すいとく』巻頭言から
- 稲荷信仰を貫く赤誠――初午大祭の心像風景
- 午歳御縁年〝神徳弥高し〟――初午大祭福詣りの継承
- 御社殿復興十周年――遷座記念大祭を迎えて
- 年頭偶感――明治憲法制定時の経緯に学ぶ
- 瑞穂國陸奥の秋祭
- 形と心の継承――唐門の解体修理と耐震工事に当たり
- 秋祭りの季節を迎えて
- 初詣と国柄の継承を――君民一体の祈り
- 闇夜に照らす光明――日本伝統精神の甦りを
- 向唐門竣功奉祝祭を終えて――奉賛の赤誠に感謝
- 震災復興の秋祭り――互助共生は祭りの原点
- 國難克復の復興元年――一旦緩急の際、義勇公に奉ずるの心
- 自然の恵沢に感謝する初午大祭――氏神様復興こそ地域再生の道
文集Ⅱ 寄稿文、講演録他
- 平和――貧困の抑圧からの解放こそ平和達成の第一歩
- 夢を運ぶ新球団
- 薫風の杜清けし
- 平成竹駒の御師達
- 方言文化の継承
- 渡し損ねたお守り
- 御存じですか、女性天皇と女系天皇の相違について
- 世相と保育の狭間で憶うこと
- 『明治天皇詔勅謹解』編纂事業と葦津珍彦先生
- 神職は信仰継承の御師たれ
- 座して待つこと勿れ
- 葬送の旅路――空から拝した神々の山
- 神賑行事の新たな創設
- 天皇陛下のお言葉 被災者に生きる勇気を――全国神社界から支援物資と義捐金贈られる
- 竹駒神社の歴史と稲荷の信仰――仙台銀行岩沼支店の集い講話録
- シンポジウム「被災者に宗教者は如何に向き合ってきたか」――比叡山宗教サミット二十五周年記念 世界宗教者平和の祈りの集い
- 神道の教えと平常心――鹿島建設株式会社東北支店仙台営業所 鹿親会にての講演録
あとがき
このうち宮城県神社庁長をも勤めていた平成23年3月の短歌には、次のように詠んでいます。
身を清め日供御祭修め奉る地震(なゐ)鎮まれと祈る朝朝
神饌の米掻き集め炊き出しぬ蠟燭灯る避難の人らに
被災地へ支援物資を運ばんと瓦礫の道を迂回して進む
支部長に各避難所を案内(あない)され支援物資を届け廻りぬ
山の辺の避難の宮へ物資運ぶ謝する合掌被災の人ら
阪本是丸先生より、『鎮守の杜ブックレット2 神葬祭 その歴史を探る』(神社新報社、平成29年)をご恵与いただきました。誠に有難うございました。
阪本先生の提案により、平成元年(1989)、昭和天皇の御大喪諸祭を顧み、神葬祭の歴史的経緯と神道の霊魂観を探るため、各分野の先生方の執筆により神社新報紙上に連載された原稿をもとに再構成された1冊です。
目次は次の通りです。
はじめに
- 覗かれる未消化の異国文化―古代の墓制―(椙山林継)
- 日本固有の葬法―仏教伝来で葬法に変化―(斎藤忠)
- 平安時代以後の葬法―追善供養の仏教教学が波及―(神社新報社編輯部)
- 神道葬祭の成立―その淵源について―(岡田莊司)
- 檀家制度の成立―江戸幕府の宗教政策―(圭室文雄)
- 吉田流葬祭の発展(岡田莊司)
- 近世の墓地と墓石―工夫みられる神道の墓―(神社新報社編輯部)
- 神道宗門と神葬祭運動(椙山林継)
- 水戸藩の葬礼―神葬実行の苦辛―(近藤敬吾)
- 離檀運動支へたもの―国学者の死後観―(安蘇谷正彦)
- 幕末の離檀運動―浜田・津和野の離檀運動めぐって―(加藤隆久)
- 明治維新と神葬祭―近代の神葬祭と墓地制度―(神社新報社編輯部)
- 近代神葬祭の光と影(阪本是丸)
- 地域社会と神葬祭の受容―儀式を司ったのは誰か―(櫻井治男)
編集後記(神社新報社調査室)
前方後円墳は最も日本的な特徴を示す古代の墓制であり(覗かれる未消化の異国文化)、仏教伝来以降も固有の葬法が伝承され(日本固有の葬法)、古来の野辺送りの葬法が庶民のなかで主流をなしました(平安時代以後の葬法)。
応仁の乱以降、吉田神道を大成した卜部兼倶は「人は則ち神の主なり」として人間は死後神になると主張しましたが(神道葬祭の成立)、江戸時代には全国民が寺の住職からキリシタンではないことを保証する寺請証文の提出が義務づけられ、日本人すべてが仏教徒とさせられました(檀家制度の成立)。こうしたなか歿後の祓清めをはじめ諸儀ごとに中臣祓などを唱える吉田流神葬祭が、吉田家配下の神職自身のみに認められ(吉田流葬祭の発展)、当時の墓石銘の調査により神道葬成立の時期が解明されることが期待されます(近世の墓地と墓石)。水戸藩では徳川義公光圀の意志による独自の神葬式が行われ(水戸の葬礼)、宝暦(1751~1764)以降には土浦藩や伊予国越智郡、石見国浜田藩、津和野藩、尾張藩などの神職による神葬祭運動や離檀運動が行われました(神道宗門と神葬祭運動)。そうした運動を支えたのは、死後の霊魂はこの世に留まり、この世の生成発展を守護することを説いた、本居宣長・平田篤胤・岡熊臣ら国学者の死後観・霊魂観でした(離檀運動支へたもの)。もっとも弘化4年(1847)に津和野藩神職の離檀・神葬祭が許可された際にも「当人嫡子隠居」に限ると口上書にあるように、神葬祭問題の解決は明治維新をまたねばなりませんでした(幕末の離檀運動)。
明治元年(1868)に政府は津和野藩の神葬祭などの宗教政策をもとに神職とその家族が神葬祭に改めることを許可し、明治3年に神葬祭用の東京・青山墓地が誕生、明治5年には教部省官員の小中村清矩・猿渡容盛が主務となり草稿した、教導職東西部管長千家尊福・近衛忠房『葬祭略式』が刊行するなど、近代の神葬祭が普及する基盤が整えられました(明治維新と神葬祭)。しかし神葬祭の執行と信仰をめぐる多様な問題(神官と教派神道との競合関係、神社の宗教性を払拭しようとする内務省の姿勢、伊勢神宮派と出雲大社派との教学論争など)により、内務省は明治15年(1882)に官社神官に教導職分離・葬儀不関与を達し、敗戦に至るまで神葬祭に影が覆い続けました(近代神葬祭の光と影)。その当時の希有な事例として、三重県伊勢周辺では、大教宣布運動に伴う神官の教化活動と関連し、祖霊殿(社)や神葬祭の普及に地域社会全体で取り組みました。今後、さらに多くの地域社会の実状をふまえて、神葬祭の問題が検討されることが大切といえます(地域社会と神葬祭の受容)。
本書は地方から都市に流入した世代を中心に神葬祭の希望が増加しつつある現状をふまえて企画され、地縁意識の希薄化や新しい霊園の造成、費用負担が少ないことなどを背景に、今後も広がりを見せる可能性があると指摘しています(編集後記)。人口減少の危惧される地方においても、神葬祭への関心は以前より高くなっており、その歴史や意義について理解を深める上で、有意義な1冊と思われます。
元十和田市民で八甲田雪中行軍関係の歴史作家として活躍する川口泰英氏の著書『荒野に町をつくれ――三本木原開拓ものがたり』(新渡戸記念館ボランティアKyosokyodo(共創郷土)、2016年12月24日発行、北方新社販売、A5判192頁)を、発行者様よりご恵与いただきました。誠に有難うございます。
十和田に育つ子どもたちや十和田に住む方々が、ふるさとを知り、ふるさとを愛する一助になればとの思いから誕生した一冊であり、新渡戸伝、十次郎、稲造らの活躍を中心に、十和田市(三本木町)のなりたちや発展についてわかりやすく紹介しています。また本文中には関連史料が丹念に引用され、新渡戸記念館ボランティアKyosokyodo(共創郷土)作成の栞も付録されており、十和田の歴史を学びたいという人にとっても有意義な内容となっています。
目次は次の通りです。
- はしがき
- 第一章 手つかずの土地(開拓の町/「無益の野原なり」/有志あらわる/苦労と才覚の人/開拓を願い出る/目指すは三千石/出資を募る/年表1)
- 第二章 台地に水を(矢神の八十八人/五百六十間では足りない/山を掘り抜け/鞍出山に挑む/埋もれた十七人/天狗山を貫く/山あれば崩せ/谷あれば埋めよ/上水の先走り/立派な橋に/吉助死す/せきれいが飛んだ日/百年後まで/年表2)
- 第三章 開けゆく町(初めての田植え/「稲生」の名に/町をつくる/『開業之記』/幻の穴堰/十次郎死す/伝死す/年表3)
- 第四章 大志を継いで(藩がなくなる/開拓再開/軍馬の町に/水争いの末/太平洋の橋/わが骨は太素塚に/陳情三百回の失敗/悲願達成/二市四町をうるおす/初代市長に/百年の大計/新渡戸記念館ができる/年表4)
- 第五章 未来へ(五千円札の肖像に/大鳥居再建/「奉納」された催事/未来への遺産/「開拓の大恩人」/郷土をつくろう/年表5)
- あとがき
- おもな参考図書
本書は「小学校の高学年以上であればだれでも読めるよう、やさしく書きました。」(はしがき)とあるようにわかりやすい内容ながらから学ぶことが多いです。その中でも、昭和2年(1927)10月7日、新渡戸稲造が祖父・伝の墓参りで三本木を訪れた際、三本木小学校で町民に「三本木開祖の神様」と題して講演したというエピソードは興味深く、その時の稲造の心境は、本書むすびの次の文章に通じるように思います。
花巻で生まれた新渡戸伝も、盛岡で生まれた新渡戸稲造も、自分の最後の地を三本木に選びました。初めはただの草原であったのに、この地を自分の居場所だと思い力をつくすことで、いつのまにか「ふるさと」になっていたのでした。郷土つまりふるさとは初めからあるのではなく、そこに生きる人々が自分の知恵と勇気でつくり上げていくものなのです。
この美しく、かけがえのないふるさとをさらにすばらしいものにしていきましょう。そして自分の身の回りにまだ見ぬ「荒野」をさがしだし、そこに新たな「町」をつくっていこうではありませんか。
新渡戸伝は守護神となり、この町の発展とみなさんの活躍を見守り続けているのです。(183頁)
多くの方々にお読みいただきたい一冊です。
公益財団法人国際宗教研究所主催の公開シンポジウム「人口減少時代に宗教はどう立ち向かうか」が、平成29年(2017)2月18日(土)午後1時より、大正大学で開催されます。
宗教が地域社会の過疎化や高齢化にどのような影響をうけているのか、また、人口減少社会の出現という大きなうねりの中で、新たにどのような役割を模索しようとしているのかを論じてみようとするものです。
【パネリスト(敬称略・順不同)】
- 日 時 2017年2月18日(土)13:00~17:00(受付開始時間 12:30~)
- 場 所 大正大学巣鴨校舎1号館2階大会議室(東京都豊島区西巣鴨3‐20‐1、都営地下鉄三田線西巣鴨駅徒歩2分/JR埼京線板橋駅徒歩10分)
- 参加費 無料
- 定 員 100名(事前申込締切:2月10日)
【コメンテータ】
【司会】
- 櫻井義秀(北海道大学教授)
- 山中弘(国際宗教研究所所長/筑波大学教授)
参加ご希望の方は、国際宗教研究所のホームページ(
http://www.iisr.jp/symposium/present/sym_111.html)よりお申し込み下さい。