目黒順蔵・目黒士門著、目黒安子編『戊辰戦争後の青年武士とキリスト教――仙台藩士・目黒順蔵遺文』

 

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 目黒順蔵(1847~1918)・目黒士門(1933~2015)著、目黒安子編『戊辰戦争後の青年武士とキリスト教――仙台藩士・目黒順蔵遺文』(風濤社、2018年7月20日発行)を、編者様より平成30年中にご恵与いただきました。お心遣いに感謝申し上げますとともに、ご紹介が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

 目次は次の通りです。

  • まえがき(目黒士門
  • 第一部 目黒順蔵とその時代(目黒士門
  • 第二部 目黒順蔵遺文(目黒順蔵)
  • 第三部 『処世之誤 一名 誡世痴談』(目黒順蔵)
  • あとがき(目黒安子)

 まえがきによると、目黒順蔵は幕末に養賢堂仙台藩校)で漢学を修め、明治9年に長谷川泰の西洋医学校「済生学舎」に学び、医師となりました。本書の第二部には順蔵の手記を、第三部には『大言海』の著者・大槻文彦の奨めにより順蔵が大正3年に公刊した著作を収録しています。

 編者はあとがきで、「内村鑑三は〝武士道に接ぎ木されたキリスト教〟という言葉を残し、新渡戸稲造は日本人が共有する特性にキリスト教を繋いで『武士道 Bushido: The Soul of Japan』(1900)を書き上げています。一方で、「目黒順蔵遺文」には〝キリスト教を吸い込んだ武士〟の素朴ともいえる実直で不器用な姿があります」と述べています。

 

 

東資子『治癒と物語――南西諸島の民俗医療』

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 東資子様より、『治癒と物語――南西諸島の民俗医療』(森話社、2018年6月29日発行)を、平成30年中にご恵与いただきました。お心遣いに感謝申し上げますとともに、ご紹介が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

「2006年に山口大学大学院東アジア研究科に提出した博士論文「民俗医療に見る病いの理解と治療の実践――南西諸島の事例から」を大幅に加筆、修正したもの」(あとがき)で、目次は次の通りです。

  • はじめに

  •  

    第一章 これまでの民俗医療研究
  • 第二章 物語の作り方――宮古列島・佐良浜
  • 第三章 病いの処置と専門家――沖縄本島読谷村字長浜
  • 第四章 病いの理解と実践――長浜と佐良浜の比較から
  • 第五章 治癒と物語
  • おわりに
  • 引用・参考文献
  • 巻末資料① 佐良浜池間島・西原の村落祭祀の比較
  • 巻末資料② 長浜の行事一覧
  • 巻末資料③ 佐良浜のウホンマのノート
  • あとがき
  • 索引

 著者は、「本書は、沖縄県における二つの村落における病いの理解と処置のありようから、それが何を成し遂げているのか、医療として成り立っているのはなぜなのかを考え、「医療」とはいかなるものかという普遍的な議論にまで繋げることを目的とするものである」(はじめに)と述べています。

 

治癒と物語──南西諸島の民俗医療

治癒と物語──南西諸島の民俗医療

  • 作者:東資子
  • 発売日: 2018/07/04
  • メディア: 単行本
 

 

小形利彦「創立一四〇年記念里之宮湯殿山神社史余滴」

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 里之宮湯殿山神社サポーターの小形利彦様(元日本大学人文科学研究所研究員)より、『里之宮ゆどのさん』第62号(令和2年6月)、第61号(令和元年12月)、第60号(令和元年6月)、『はたごまち文庫』第4号(令和2年5月)、第3号(令和元年5月)をご恵与いただきました。お心遣い誠にありがとうございます。

 社報へのご寄稿「創立一四〇年記念里之宮湯殿山神社史余滴」は、『里之宮湯殿山神社創建一五〇年史』創刊につなげる内容となっています。

 『はたごまち文庫』第4号は、今年が山形県初代県令の三島通庸が、栃木県那須野開拓に着手し、また山形県済生館(現山形市病院済生館)医学寮にオーストラリア人医学教師アルブレヒト・フォン・ローレツを招聘して140年を迎えた関連論文を収録しています。

 

一関の昔の年中行事

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めえだま(御嶽山御嶽神明社拝殿)

はじめに

 年中行事は、「目に見えないものと現実に生きる人(あるいは共同生活体)との呼応または交渉が一定の期日に行われ、それが永く固定して伝承された」ものであり(森口多里「岩手県の歳時習俗」)、「生業と深く結びついており、神霊に豊かな幸を祈願する予祝儀礼と、それへの感謝と祝福を込めた収穫儀礼を軸とする生業儀礼が年中行事の中核となっている」といいます(白石昭臣「正月と盆」)。その調査によって、「一つの土地、一つの家だけに限られた特色でなく、汎く日本という国に住む者の共に知り、共に守ろうとしていたものが、いかなる慣習であったかを明らかにし」(柳田國男『年中行事覚書』)、また「総て永く継承したる習慣には、何等かの理由の存するが故に、学者は須らく其所以を捜索すべきもの」(新渡戸稲造『増訂農業本論』)とされてきました。

 明治維新後、暦日は太陽暦によることに改められましたが、農村においては農作業に適応する陰暦が用いられ、昔ながらの年中行事が行われてきました。行事の日は農作業を休み、ご馳走をつくってお祝いしたので、楽しみに待っていたものでした。しかし戦後新生活運動の一環として太陽暦への全面切り替えが実施され、また農業経営の多様化によって、一部を除いてほとんど廃れてしまい、昔ながらの素朴さが失われ、味気ない世の中になったと嘆く老人も少なくなかったといいます(『東山町史』)。

 宮城県の農村部で全面的に太陽暦が用いられるようになったのは、昭和四十年代に入ってからのことであり、いまだに社寺の祭祀は旧暦または一月遅れで行われているのが一般で、盆行事は一月遅れの八月になりました。岩手県南の農村でも同様に旧暦が用いられました。しかし昭和四十年代半ばを過ぎると、農作業の機械化が進み、作業が一か月以上早められ、太陽暦の周期とほぼ一致するようになり、昭和五十年代にはいかなる山村でも新暦に改められました。作業の機械化は、厳しい作業にリズムや弾性を持たせる必要がなくなり、さらには農村生活の様式まで変容するにつれ、歳時習俗などの伝統文化は急速に衰微し、その断片的な部分だけが行われるようになったといわれています(三崎一夫「宮城県の歳時習俗」)。

 以上の状況を踏まえて、岩手県一関市内における、農作業に旧暦が用いられていた昭和四十年代までの主な年中行事について、自治体史や公民館等の資料をもとに確認したいと思います。

 なお、参照資料は次の通りです。阿部正瑩『厳美地方の民俗資料』(昭和六十年)、一関市史編纂委員会『一関市史』第四巻(昭和五十二年)、弥栄中学校『郷土誌 弥栄の里』(昭和四十八年)、佐藤恭『永井村史抄』(昭和五十七年)、老松公民館『おらほのしきたり』(平成九年)、猿沢地区老人クラブ連合会『おれたちの若いころ』(平成七年)、東洋大学民俗学研究会『旧中川村の民俗』(昭和四十八年)、磐清水公民館『ふるさとの行事と行事食』(昭和五十七年)、小梨公民館『おらほのならわし』(平成六年)、東山町史編纂委員会『東山町史』(昭和五十三年)、室根村史編纂委員会『室根村史』下巻(平成十六年)、川崎村教育委員会『川崎村の年中行事と農民のくらし』(発行年不明)、藤沢町教育委員会『村の歳時記』(昭和五十九年)。

 このページには行事の名称のみを記しました。各行事の内容につきましては、電子書籍『家庭のまつりと年中行事』(御嶽山御嶽神明社発行、令和二年)に収録されていますので、ご興味のある方は、Amazon のサイトからご覧になってみて下さい。

一 正月行事

(一)正月の準備

  • 煤はき 十二月二十七日(厳美は二十五日。永井、猿沢は二十九日)。すす払い(永井、老松、猿沢、中川)ともいう。
  • 餅つき 十二月二十八日。
  • 歳の市 十二月二十九日(川崎は二十日、室根は二十二日、猿沢は二十七日、藤沢は二十八日)。詰め町(老松、猿沢、室根)、年の市(川崎)ともいう。
  • 門松 十二月三十日(川崎は二十八日。中川は二十九日~三十日)。松飾り(永井)ともいう。
  • お年越し 十二月三十日。

(二)正月行事

  • 若水迎え(若水汲み) 一月一日。
  • 元朝参り 一月一日。
  • 年始礼 一月二日。門礼(猿沢)、年始巡り(小梨)、御年始(中川、東山、室根)ともいう。
  • 初売り・初買い 一月二日。
  • 里帰り・初泊まり 一月四日。初礼(厳美)、嫁ごの初泊まり(老松)ともいう。
  • 五元日 一月五日(舞川は四日より)。ご年始まち(厳美)、町年始(萩荘)ともいう。
  • 若木迎え 一月六日。六日山ともいう(萩荘、永井、老松)。
  • 七草 一月七日。人日の節句(永井)ともいう。
  • 農はだて 一月十一日。
  • 初山の神 一月十二日。山神の精進(萩荘、永井、老松)、山の神(舞川、猿沢、東山)、山の神精進講(川崎)ともいう。

(三)小正月行事

  • 望の年越 一月十五日(老松は十四日)。
  • ものまね(ものつくり) 一月十四、十五日。
  • 道具の年越 一月十五日(老松、藤沢は十四日、舞川は十二月二十日)。農具の年越(小梨)ともいう。
  • もぐらぼい 一月十五日。もぐらうち(厳美)、もぐらぶち(磐清水、小梨、東山)ともいう。
  • 鳥追い(とりぼい) 一月十五日。
  • 小豆粥 一月十五日。
  • 焼祷(やいとう) 一月十五日(舞川、永井は二十日)。焼人(舞川)、おまじない(東山)ともいう。
  • 成り木責め 一月十五日(永井、老松では十四日。磐清水では十六日)。なり木まじなえ(弥栄)、モズギリ(老松)、もちぎり(猿沢、中川、藤沢)ともいう。
  • せどり 一月十五日(中川は十一日~十四日。永井は十四日。磐清水は十六日)。かくれざと(永井)、門付かせどり(小梨)ともいう。
  • 田打ち 一月十五日(中川は一月三日~二月九日。萩荘は一月十一日より。永井は十五日以降)。門付田打(磐清水、小梨)ともいう。
  • 仏の正月 一月十六日。藪入り、仏のあげ初め(弥栄)、地獄の釜の蓋も開く(老松、中川、小梨、藤沢)、餅の元日(東山)、霊祭(室根)、望の元旦(藤沢)ともいう。
  • お十八夜 一月十八日、五月十八日、九月十八日。お十八夜の精進(舞川、川崎、藤沢)ともいう。
  • まゆかき 一月二十日(磐清水、小梨、東山では十八日)。まゆっこかき(猿沢)、粟刈り・稗刈り(老松、藤沢)、粟刈り(小梨、東山)、繭玉かき(川崎)ともいう。
  • 蔦の年越し 一月三十日。二月正月・蔦の正月・おわりの正月(厳美)ともいう。

二 春・夏の行事

  • 蔦の正月 二月一日(猿沢、磐清水、小梨は一日~三日)。蔦の元日(老松、東山、藤沢)ともいう。
  • 節分・寒明け 立春の前日。
  • つたおさめ 二月九日(老松、東山、藤沢では四日)。神送り(猿沢)、総納め(室根)ともいう。
  • 初午 二月最初の午の日。
  • 八日団子 二月八日(弥栄は九日)。テンゲ団子(厳美、猿沢)、すはすだんご(萩荘)、厄神だんご(舞川)、天げ団子(東山)、天向(藤沢)ともいう。
  • 釈迦だんご 二月十五日。お釈迦様の命日(猿沢、中川)、お釈迦様(磐清水、小梨)ともいう。
  • 春彼岸 春分の日を中日とし、前後七日間。
  • 社日 春分の日に近い戊(つちのえ)の日。
  • 桃の節句 三月三日。雛祭(弥栄、老松、猿沢、東山)、上巳節句(永井)、ご節句(猿沢)、三月節供(中川)、おひなさま(磐清水)、節句(小梨)ともいう。
  • 山の神様のお精進 三月十二日。
  • お釈迦様のお誕生日 四月八日。灌仏会(永井)、お薬師さま(磐清水、小梨、室根)、お釈迦祭(東山)ともいう。
  • 八十八夜 立春より八十八日目。
  • 端午の節句 五月五日。菖蒲の節句(老松、中川)、節句(磐清水、小梨)ともいう。
  • むけのついたち 六月一日。むきめの朔日(厳美)、むけみの一日(萩荘)、脱けの朔日(永井)ともいう。
  • 天王様 六月十五日。

三 七夕・盆行事

  • 七夕 七月七日。七夕の節句ともいう。
  • 墓払い 七月七日。七日日(厳美)ともいう。
  • 盆町 七月十二日(川崎は十一日、萩荘、弥栄は十三日)。盆市(弥栄、川崎)、市日(室根)ともいう。
  • 盆棚 七月十三日。盆はじめ(弥栄)、迎え盆(永井、老松)ともいう。
  • 墓参り 七月十四日(萩荘は十三日、小梨は十五日)。
  • あかしたて 七月十五日(永井、猿沢、室根は十四日)。初盆まわり(弥栄)、初盆詣り(永井)、あかしたて初盆(川崎)ともいう。
  • 送り盆 七月十六日(厳美、舞川は十五日)。お帰り(厳美、東山)、精霊送り(中川)、送り日(川崎)ともいう。
  • 二十日盆 七月二十日。
  • 三十日盆 七月三十日。

四 秋・冬の行事

  • 八朔の朔日 八月一日。たのみ、八朔(弥栄、小梨)、初作の朔日(室根)ともいう。
  • 二百十日・二百二十日  立春より二百十日、二百二十日目。
  • お明月様 八月十五日。お月見(弥栄、中川)、中秋の名月(老松、猿沢、藤沢)、お名月さま(磐清水、川崎)、名月(小梨)ともいう。
  • 社日 秋分に近い戊(つちのえ)の日。
  • 秋彼岸 秋分の日を中日とし、前後七日間。
  • 菊の節句 九月九日。重陽節句萩荘、永井、老松、藤沢)、ご節句(磐清水)ともいう。
  • 大根の年越 十月十日。
  • 恵比須講 十月二十日。恵比須様の年越(厳美)、お恵比須講様、エビスコ(中川、小梨)ともいう。
  • お刈上げ 九月三十日(磐清水、小梨は二十九日。厳美、萩荘、舞川、弥栄は十月一日)。お刈上げの朔日(厳美)、刈上餅(萩荘)ともいう。
  • 油しめ餅 十一月十五日(室根は十一日)。油しめ(舞川、室根)、油しめ団子(磐清水、小梨、川崎、藤沢)、ともいう。
  • 御大師様の年越 十一月二十四日(永井は三日・十三日・二十三日、萩荘は四日・十四日・二十四日、老松は二十三日)。大師講(萩荘、永井)、お大師様(弥栄、東山)、お大師団子・家宝団子(舞川、川崎)、御大師(老松)、果報ダンス(猿沢、中川)、果報だんご(磐清水、小梨、藤沢)、お太子様(室根)ともいう。
  • 水こぼしの朔日 十二月一日(中川では十一月二十九日。猿沢では三十日)。キャッパリの朔日(永井)、川よけ餅(萩荘)、みずこぼし(中川)、水神様(藤沢)ともいう。
  • 竈神様の年越 十二月五日(老松は六日)。宇迦(うか)の年越(弥栄)、倉稲(うが)の年越(永井)、おがの年越し(老松)ともいう。
  • お薬師様の年越 十二月八日。
  • 大黒様の年越 十二月十日(老松は二十日)。大黒祭(萩荘)、大根の年越(弥栄、舞川、中川)、大黒の嫁迎い(永井、小梨)、大根のお嫁迎え(老松)、大黒の女迎え(磐清水、川崎)、お大国様(室根)、大黒様の年取り(藤沢)ともいう。
  • 山の神様の年越 十二月十二日。
  • 冬至  冬至の日。

むすび

 岩手県一関市内で昭和四十年代まで行われていた主な年中行事を見てきました。このほか毎月の行事として、東山の農家では一日・十五日・二十八日に、氏神様や水神様、明神様に参詣することを、つい最近まで励行し、現在でも実行している家があるといいます。各家庭の年中行事の調度品は、基本的に手作りであり、一部を町で買い求め、あるいは神社から受けて行事の準備をしています。町の市や社寺は、主体者である家々の行事の手助けとして箕や幣束などを頒布し、また参詣の場を整備していると考えていいと思われます。また、厳美の煤はきのように、行事にあたっては家族が協力し、互いを思いやる様子がうかがわれます。一関市は餅文化のまちといわれます。それは正月、春、夏、盆、秋、冬、折々の年中行事に、餅や団子を神々や先祖に供えて拝礼し、家族一緒にいただく風習を尊び、伝承してきたことと関わりが深いと考えられます。

 

 

川口泰英『武士道に生きる――新渡戸稲造が説いた日本の精神』

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川口泰英『武士道に生きる――新渡戸稲造が説いた日本の精神』表紙

 青森県十和田市の新渡戸記念館ボランティア Kyosokyodo(共創郷土)様より、川口泰英氏著・制作『武士道に生きる――新渡戸稲造が説いた日本の精神』(新渡戸記念館ボランティア Kyosokyodo(共創郷土)・2020年5月4日発行、弘前・北方新社販売、A5判、240頁)をご恵与いただきました。誠に有り難うございます。

 目次は次の通りです。

  • はしがき
  • 第一章 武士道とは何か(花は桜木 武士道の誕生 三つの源泉 サムライの職分 稲造は武士だった 八つの徳目)
  • 第二章 武士道の心(義は「正しき心」 勇は「ひるまぬ心」 仁は「思いやりの心」 礼は「わきまえる心」 誠は「まことの心」 名は「気高き心」 忠は「つくす心」 克己は「くじけぬ心」 書けなかった「孝」 武士道の弱点)
  • 第三章 サムライたちの生き方(赤穂浪士の忠義 サムライ、海を渡る 『武士道』を書く 武士的最期 始末に困る人 波立つ太平洋 国際平和を説く 燃えるような愛国者
  • 第四章 その後の武士道(大和島根に花薫るとき 武士道が果たしたもの 日本精神(リップンチェンシン) 花は咲く)
  • あとがき
  • おもな参考文献 

 本書は、新渡戸稲造の『武士道』の解説にとどまらず、著者がはしがきで述べるように、江戸時代から現代までの歴史を背景に、日本人の持つ道徳観と、日本の国柄について、時代を追いながら紹介しています。

 

武士道に生きる―新渡戸稲造が説いた日本の精神

武士道に生きる―新渡戸稲造が説いた日本の精神

 

 

 

佐藤一伯『家庭のまつりと年中行事』(電子書籍)

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『家庭のまつりと年中行事』表紙

 電子書籍『家庭のまつりと年中行事』(御嶽山御嶽神明社、令和2年5月10日発行)を、Amazon より出版しました。

 目次は次の通りです。

まえがき
一 家庭のまつり
神宮大麻の歴史
三 近代の皇室・神社・家庭の祭祀
四 近世・近代の家庭祭祀論
神道の祖霊祭祀
六 産育の神まつり
七 近代の盛岡の七五三
八 岩手の厄年の行事
九 一関の昔の年中行事
あとがき 

 本書は、家庭のまつりや年中行事に理解を深めることを目的にしたものです。「おうち○○」という言葉が流行している世相をもとに、副題は「おうち神道を考える」としてみました。身近な伝統文化の大切さを見つめ直すきっかけとなれば幸いです。  

 

橋本政宣・宇野日出生編『賀茂信仰の歴史と文化』

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『賀茂信仰の歴史と文化』(思文閣出版

 橋本政宣・宇野日出生編『賀茂信仰の歴史と文化 神社史料研究会叢書第6輯』(思文閣出版、令和2年4月30日発行、A5判上製、237頁)を、共著者の一人である森本ちづる氏のご高配により、出版社よりご恵与いただきました。誠に有り難うございます。

 目次は次の通りです。

 このうち、森本氏の論文は、上賀茂社に明治初期まで存続していた忌子と呼ばれる女性祀職が、本殿御戸開帳神供奉献で祭神の御側近くに祗候したことや、主に神田神事などの稲作儀礼に奉仕したことを明らかにし、伊勢の神宮の子良や大嘗祭の造酒児と共通する要素がみられることなどを指摘しています。

 

賀茂信仰の歴史と文化 (神社史料研究会叢書VI)

賀茂信仰の歴史と文化 (神社史料研究会叢書VI)

  • 発売日: 2020/05/15
  • メディア: 単行本