W. G. アストン『神道』について(8)
第三章「総論――人を神にすること」では、「人間を神にすることが神道に於て重要な事であることは、西洋の学者からも、近世の日本人からも誇大に説かれた。……実際神道は宗教的思想の二大潮流の中、第一の方〔自然崇拝〕よりも、第二の方〔人間崇拝〕から発して居ることは比較的に少い。即ち人間崇拝の方が寧ろ僅かである。」(『日本神道論』、四九〜五〇頁)と、従来の学説に批判的な立場を述べています。
また「祖先崇拝」についても、「此の語に制限を附けて、我が自身の先祖を祭るのだと言ふ時には、宗教の此の形式は殆ど神道に其の余地を占めないのである。近頃の場合を除き、外国思想の影響を除けば此の崇拝は唯一つある。それは天皇(ミカド)の祖先の崇拝である。併しそれすらも第六世紀以前にはこの事があつたか否やはたしかで無い。」(六〇頁)と捉えています。
さらに、「人を神にする根本の理由は、其の人の生前の性質等に誇大に附加へた評価から起るのである。」(六一頁)といい、「我等は注意して、述語を使用するならば、自然神と団体の中心人物とを先祖と呼ぶことは、実の祖先崇拝ではなくて、准祖先崇拝〔puseudo-ancestor-worship 疑似祖先崇拝〕と呼ぶべきである。」(六三頁)と指摘しています。