W. G. アストン『神道』について(20)
アストン『神道』が参照した同時代の日本関係の資料に、第三章の「天皇以外の人を崇むること」を述べた項における、ラフカディオ・ハーンの著述があります。
生ける天皇、崩御の天皇を神に崇むる場合ですら、外国思想の影響を疑ふ余地が沢山ある。天皇以外の人々を神にすることについては、我等は古典の中に一つの明瞭な記事を見出さない。併し『記』『紀』にある数多のあいまいな神の或者には人間神があるだらうと思はれる。此の二書の中にある伝説的歴史的の人物の多数は後世に於て神に祀られたことは明白である。この数が時を経るままに増加した。諏訪の神の場合は殊更に興味がある。此の神の生ける子孫は神として崇められ、一つの洞穴が社殿の代りになつてゐる。出雲の大社の神官の長は生神といはれる。善人悪人ともに崇められて神に斎ひこめられる。或は逆臣将門の如き、強盗熊坂長範の如き、又我等の時代にても森文部大臣の殺害者西野文太郎の如きも。
Lafcadio Hearn は其の著(Gleaning in Buddha Fields)の中に、生きた人を神にした代表的の物語をして居る。「濱口五兵衛といふはたしかに居つた人である。彼は其の村の村長であつたが、其の村人をば海嘯の難から救はんがために、即ち海辺から高地へ村人を引きつけるために、積藁に火をつけて、彼の米穀を犠牲にした。そこで彼等は濱口を神様だと呼び、濱口大明神と言つた。海嘯がすんで、彼等は古里に還つて、濱口の霊のために一堂を建て、金文字で書いた「濱口大明神」といふ額を掲げた。村人は彼を此処に祀つた、祝詞を奏し、供物もして。……濱口は小高い丘の上に藁葺の家に未だ生きて居るのに、丘の下の社殿では其の魂が祀られた。さうして、百歳以上の長寿を保つて彼は死んだ。併し今尚其の社があつて、此の良農の死霊を祀つてをつて、恐ろしき事、困難事ある時には祈願をこめるといふことである。」と書いて居る。(『日本神道論』、五九〜六〇頁)