W. G. アストン『神道』について(19)
第十四章「神道の衰頽、近世の諸流派」では「仏教の興隆」について「後世の神道は衰頽の歴史である。尤も神道に生気の絶えざるゆゑんは第一神道に接木した仏教の力である。支那の道徳、哲学の影響、特に近世に至っての影響が更に著しい。」(『日本神道論』、四三〇頁)と仏教の影響の大きさについて指摘し、「両部神道」については次のように述べています。
神仏二教の折衷とはいふものの、両部の精神は本質的に仏教である。神道から採用したものは二三の神の名に過ぎない。就中國常立命が最も著明であるが、此の神とても神道の古書よりすれば、その謂はれのないほどに尊ばれてゐる。……神儒仏を打つて一丸とするためには、いはゆる方便以外に、尚或者があつた。それは実にすべての宗教の本質的統一を求め外形上異つた物をば出来るだけ調和させようとする人間の真実の本能である。日本の宗教史は斯様な尽力に充ちて居る。(小説家馬琴曰く、神道は太陽の道を尊び、支那哲学は天を尊ぶ、釈迦の教に従つても太陽を一つの神とすることは出来るのである。これらの教義が違つては居るがその根本原理は同一であると)(四三四頁)
以下、「唯一神道」、「神道の託宣」(『和論語』)、「純粋神道の復活」、「心学」、「天理教」、「蓮門教」の紹介があり、「国家的神道〔Official Shinto〕」で次のように本書を結んでいます。
現時の国家的神道は実質的に平田本居の唱へた純神道である。併しそれは少しの生気もない。かかる初歩の宗教は、今日日本が達したやうな文明程度の国民の精神的柱とするには全く不十分である。但し、伊勢出雲その他二三社の大祭及び例年の巡拝によつて多少の宗教的熱情が煽動せられることはたしかである。天皇に対して払ふ敬虔の情は、宗教的性質を備へて居る。その敬虔の源は即ち神道から出て来るのである。併し、日本の有する信仰の本流は、それ自身のために自ら新しい溝を掘つた。其の流れは仏教の方へ向かつたのである。王政復古の時、一時衰へて居た仏教が、此の頃は再び興隆し蘇生して来た様子が見える。他の更に恐るべき競争者があらはれた。それが日ましに勢力を逞しくして進歩して行きつつあるが、それが果して那辺に到べきか、予め之に制限をつけることは困難である。
国民的宗教として神道は殆ど滅びた状態である。しかし此の神道は日本の俗説及び習慣の中に生き残り、又更に単純で、且つ一層物質的な方面にあらはれる神に対する日本人の活発な感受性――これは日本人を説明する特徴である――の中に永久に生き残るであらう。(四五三〜四五四頁)