W. G. アストン『神道』について(4)
『日本神道論』の大正11年2月11日付「訳者の序」(序言)は、「此の「神道論」は西欧はいふに及ばず、我が学者の間に於ても既にクラシツクになつてゐる。」として、その特色を次のように述べています。
氏の神道に関する見解は、決して我等日本人が考へるやうな偏狭なものではない。氏の「神道論」は一種の日本民族思想論とも信仰論ともいふべきものである。即ち此の書は、日本人の言語、文学、思想、信仰、風俗、習慣等あらゆる方面をば内的にも外的にも研究した結晶である。随つて此の書は現代日本人の内面的生活に対つてサイドライトを投げ与へたものが少くない。さうして、この科学的批判的な研究物をば、文学的に趣味多く叙述して居ることと、日本の神話伝説をば、広く羅馬、埃及等の神話伝説に比較してゐることとが、本書の二大特色である。
また「氏が日本に関する諸研究の一大統計、集大成である。或は文学の方面から、或は思想風俗の上から、日本の神道をば立証し、説明し、……其の研究其の説明がいかにも精到である、広汎である。これ実に又本書の一大特色」とすべきであり、さらに、
日本人は或意味に於て神の子である。其の日常生活の中に神代の手ぶりを少からず伝へのこしてゐる。そこで我等は神道を研究するに於て、その研究が甚だ容易であると同時に、時としては又神道上非常に必要な事柄も之を日常の茶飯事として軽視し去り、或は又これが意識に上らずして終ることが往々あるのである。故に今後の神道研究は、宜しく注意して、本居、平田などの諸先輩のせられた如き古来の伝統的研究法に加ふるに、更に又、何の斟酌もなく、何の拘束もなく、因習に捉はれず、自由に、赤裸々に、露骨に、無遠慮に、深刻に、日本人といふ考慮を皆無にして、胸に一点先入物なき、所謂白紙主義を以て、腕ら外国人となつて研究する研究法を以てしなければならないと確信する。アストン氏の本書の他の一大特色は、即ちこの外国人的方面を遺憾なく発揮して研究してゐる点である。本書の論説にして、思はず案を打つて「痛快だ!」と叫ぶことを禁じ得ないものが、屡々あるのは即ち此の為めである。
と述べています。