骨寺村荘園遺跡・一関本寺の農村景観と一関・平泉のもち食文化――一関と周辺の熊野信仰(2)

 骨寺村荘園遺跡・一関本寺の農村景観と一関・平泉のもち食文化について、吉田敏弘『絵図と景観が語る骨寺村の歴史――中世の風景が残る村とその魅力』(仙台・本の森、2008年)と、世嬉の一酒造『一関・平泉 おもちのはなし』をもとに考えてみたいと思います、

 中尊寺が所蔵する「中尊寺領 骨寺村絵図」(重要文化財)に描かれた様々な寺社や遺跡は、平成17年(2005)3月に国史跡「骨寺村荘園遺跡」の指定を受け、さらに絵図の舞台となったこの地区のほぼ全域の景観は、絵図の風景を今に伝える貴重なものとして、平成18年(2006)4月に文化庁より重要文化的景観(選定地名称「一関本寺の農村景観」)に選定されました。

 吉田敏弘氏(國學院大學文学部史学科教授)は『絵図と景観が語る骨寺村の歴史』のなかで、

 世界遺産に登録されるということは、世界にその価値が認められることであり、大変名誉なことです。しかし、仮に世界遺産に登録されなかったとしても、骨寺村の魅力が色あせるということではありません。(6頁)

と指摘し、一関市厳美町本寺地区の遺跡や景観の意義を次のように述べています。

 そもそもこの村は、全国でも数少ない「荘園絵図」に描かれた村でした。ほかならぬ重要な史跡の村に、こうした伝統的な農村景観が伝えられている、という好条件は、全国的にも例を見ません。骨寺村の貴重な価値は、荘園絵図と伝統的な農村景観があいまって、日本における伝統的農村の歩みを伺うための、いわば相乗効果を発揮していることによるものです。(6~7頁)

 吉田氏はまた同書のなかで、須川の素晴らしい眺望から、「骨寺の基礎が駒形信仰に根ざしていることを実感することができました」(41頁)と指摘し、中世に熊野修験の一派など、霊山信仰を基礎とする様々な修験勢力が骨寺村に入り込んでいたことを推定しています。

 吉田氏はさらに、本寺の用水路の景観が、荘園絵図以来の伝統を受け継いでいることを次のように指摘しています。

 今なお生きている用水路の景観、これは荘園絵図以来、自然環境と調和して持続的に発展してきた景観と評価できるのです。そして、本寺川の揚場を中心とする用水系統は、本寺川改修に伴う揚場の移動にも関わらず、いまなお継承されています。毎年春には村人総出で水路の清掃と修理が行われますが、こうした伝統的管理システムと景観維持のための労働の存続をも含めて、この村にはいわば伝統的な用水路と景観と文化が、損なわれることなく生きている、と断言できるでしょう。(116頁)

 そして、骨寺において近年、田植えや稲刈りのイベントが開催され、中尊寺への年貢貢納の行事が復活したことを指摘し、「これらのイベントを通じて、多くの都市住民がこの伝統的農地での米作りに参加し、農業の難しさと収穫の喜びを共有してほしい。これこそ、骨寺村の景観保全とその活用の最もオーソドックスな道なのです。」(120~121頁)と述べています。

 世嬉の一酒造発行の冊子『一関・平泉 おもちのはなし』が述べているように、岩手県一関市・平泉町は、伊達藩から伝わったもち食文化が受け継がれている地域であり、季節の行事や人生の節目など、ハレの日にはもちが食べられてきました。また、もちに関する儀礼や言い伝えも多く残されています。この食文化は、ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」のひとつに認定され、さらに農林水産省が認定する「食と農の景勝地」にも、全国で初めて選ばれました。

 骨寺村荘園遺跡や一関・本寺の農村景観は、一関地域が受け継いできたもち食文化とともに、一関市内外の人々だけでなく、日本および世界に誇る文化遺産であり、今後もその歴史や意義について理解を深めていきたいと思います。